自分の苦しみを吐き出したいとき

本人が精神疾患を抱えながらも,認知症を患った母親の介護をしている友人と20年ぶりくらいに初めて電話した。2時間を超える長電話となった。その後メールのやり取りをしたのだが,彼女宛てに自分の書いたことの一部をここに晒す。

彼女は苦しんでいるのだが,それをいくらかでも耳を貸してくれる友人に一方的にぶちまけてしまって,結果疎んじらているようだった。本人はこれに全く気づいていないが,周りの発言からそれが起こってることは確実だった。それを避けさせようという意図で書いた。同じような境遇の人にいくらかでも参考になれば。


[私が以前と根っこが変わってないと言われて] 僕が以前(もう20年以上前だよ)と同じだとは僕自身思わない。やはり健康を損ねたのが自分にとっては大きなことで,そこで自分の人間としてのあり方は大きく変わったと思う。根本まで変わったかどうかは自分ではわからないけど。

何が変わったかというとやはり同情深くなったと思う。自分が苦しむ立場を経験することで人の痛みがわかる人間になれたと思う。〇〇の相手をちゃんとするのもそれが理由。たまたまそういう時間の融通が効く状態にあるというのも他の大いなる理由だけど。

ただし,他の一般の人は決してそうではない(9割以上の人は)ので,〇〇はそれを理解してきちんと自制する必要があるよ。自分が苦しむ立場にあると,他の人のことまで考えが及ばず,自分の苦しみを聞いてくれ,聞いてくれ,というふうになる気分はよく分かる。だけど,それは相手が望んでいることなのか,仮にそうだとしてどの程度それを許容してくれるのか,というのは常に念頭に置いたほうがいい。でないと顰蹙を買って友達を失ってしまうぞ。

基本的に,人は自分のことだけに興味があって,ごく一部の例外を除いて他人のことには興味がない。この前提の元,もし何か自分のことについて問われたらその範囲で返事する,とふうに考えておくといいと思う。そういうコントロールを効かせられないなら,カウンセリングを受ければいいと思う。彼らにとってはそれは仕事だから,ちゃんと話を聞いてくれるよ。お金はかかるけどね。

僕が帰国した当初,さる知り合いが自分の都合で僕から見ると実にくだらないことで早朝とかに人の迷惑顧みず一方的に電話かけて来たりするのに本当にうんざりしました。最初は止めるようやんわりと頼んだけれど効果がなく,最終的には厳しく言ってやっと止めてもらったんだけど,それ以来彼とは距離を置いてます。不本意だけどしょうがないね。〇〇はそんなふうになりたくないでしょ?

それでももちろん自分の憂さを晴らしたいという欲求があるのは当然だと思う。僕ももちろんそうで,僕はTwitterやFacebookに愚痴を投稿することでその欲求を満たしてます。見たくない人は見ないという選択肢があるからそこらへんを心配する必要がない。もちろん,アナログな方法だけど,日記に思いの丈をぶつける,ってのも昔からよくやられているいい方法だね。それを通じて自分の考えも整理できるし,おすすめよ。関連して,人に話を聞いてもらいたいときにも,電話よりもメールとかの方がいい。受け取る側が自分の都合のいいときに対処できるからね。電話だとそうはいかないから。

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