素人相手の長時間講演からの反省

無茶な予定

先日某大学で3時間の英語学習法についての講演を新大学3年生を相手にしてきた。聴講者は,こちらが知る限りの彼らのTOEICスコアや,失礼ながら大学自身のレベルからして,中学英語の知識もほぼないと考えざるをえない英語の初心者。

用意したスライドは本編用180枚ほど,予備を合わせて260枚ほどなった。本編用も,特に聴講者が興味を持った場合に触れられるように用意はしたが原則飛ばすことを前提にしていたものを含んでいた。実際の講演の際には,それ以外も盛大に飛ばしまくってなんとか当初の予定の時間内に収めた。準備不足は否めない。今後のために反省点をまとめておきたい。

最初はやはりまずこれ:3時間かかろうがなんだろうが,完全な形で最初から最後まで予行演習しないとダメ。準備に20時間はかけていたので,それ以上やる気力がなかった,というのが本音だが,予行演習はしませんでした,ではプロ失格と言われてもしかたない。

次は,聴講者目線で何が興味深いかを吟味する,ということ。自分ではいかに重要だと思って是非伝えたいと思うことであっても,それが聴講者に伝わらないならつまるところ時間の無駄にしかならない。聴講者にとってピンと来るよう最大限に工夫すべきだが(←これはした),どうしてもそれができないならそれを内容に含めることは諦める(←これをしなかった)。

この点は以下のように見ることもできると思う。一般的に何かについて考えるとき,以下の2つのフェーズを経る:

  • 発散 (divergence)
  • 収束 (convergence)

前者は,そのトピックについてさまざまなことを考え,あるいは思いつき,それぞれの方向に発想が進んでいくプロセス。「妄想」でよいのなら,いわばその「やりっぱなし」で問題ないが,現実的な問題について考えていて何かしらの解を出す必要があるときには,そこから現実性を加味して取捨選択や妥協をして実現可能な範囲に収めるプロセスが必要になる。これが後者。今回の講演準備では,発散には十分時間をかけたが,収束を疎かにしてそれには十分時間をかけなかった。実はこれは自分に一般的に言える傾向で,自分の大きいな欠点だと思っているのだが,それがまた現れてしまった形。

自分の研究者として受けた訓練も,聴講者に必ずしも響かないような内容まで含めてしまおうとした理由かもしれない。その訓練の結果,何かを主張する際,その論拠をしっかり示そうという意識や,論理的に漏れがないようにしようとする意識が強く働く。これは自分がものを考える上では大事なことであるが,講演ではそこは省いて(スライドに文字情報としては残すにしても),論理的には「雑」になっても,簡単で心に残りやすいことを優先した方がよい。要は,論文発表ではない,ということを忘れない,ということ。特に,自分が自分でもそれまですっきりしてなかったことを,うんうんうなってやっと明確化できたときなどは,どうしてもそれについて話したくなる。しかし,自分にとっての意味が大きくても,聴講者にそれが伝わりそうになければ,グッとこらえて省く勇気が必要。

何らかの理由で講演内容に含めならくてはならないないことがあっても,講演の場では聴講者がその場ですっと理解できる範囲に留め,それ以外は他の手段(別途用意した印刷物など)で伝えるようにする。

今回招聘してくださった先生のゼミで来年度私の発音講座が希望者にのみ行われる予定で,その紹介も依頼されていた。特に「きちんと復習ができる人」というのが応募の要件だったので,どういう復習を行うことが期待されているかも説明する必要があった。それで,講演の一部として,サンプルとしてミニ発音講座をやった直後にその説明を行った。しかし,それだけでは聴講者は新年度に行う発音講座がどうなるかについては雰囲気程度しかわかってなかったわけで,そこで細かい復習の手順を説明してもピンとこない感じだった。

後知恵としては,講演では大まかな説明に留め,発音講座を始めてからそこで改めて詳しく説明する,という二段階方式を採用すべきだった。来年度の発音講座自体にはあまり回数が用意されてないことが既に決定済みだったこともあり,極力そういった説明は今回の講演中に済ませたい,という意識が仇となった。

大雑把な定量的な目安としては,内容にもよるがスライド1枚に平均2~3分かかると考えて見積もるべき。常識,と言われそうだが,今回一部スライドはいわば「見せスライド」で,単にセクションタイトルを見せるだけであったり,見せはするものの内容をその場できちんと咀嚼することは最初から期待していないものだった。そこは当然サッと過ぎていくので,一般的には多めに見える量でもなんとかなるかと思ったが,結果的には甘かった。

ゲストに話してもらう

時間配分の観点からは,ゲストを呼んで話してもらうところや,聴講者と議論するところなどは思った以上に時間を取る,という認識が必要だった。ゲストはゲストで言いたいことがあるわけで,これはいたし方なかろう。どうしても時間を抑えたければあらかじめ厳密な時間制限を伝えてそれを厳守してもらうしかない。聴講者と議論するのは後でも述べるように,聴講者に主体的に考えてもらう上で効果的で,眠気防止にもなるので,積極的にその機会を用意すべきだ。ただ,そうするとどうしても時間がかかる。議論の内容によるのは当然としても,1回あたり最低5~10分程度見積もっておいた方がよさそうだ。

上記点とも大いに関係するのが,参加者が興味を持つ,あるいは最低目が覚める,と予想されるところを効果的に分散させるのも大事,ということ。盛り沢山な内容を用意すると,どうしても駆け足になり,そうすると眠気を誘いがち。一方,参加者と議論しながら進めるとこれは防げ,かつ記憶にも残りやすいが,スピードはがたんと落ちる。なので全面的に議論形式にはできないものの,その機会が節目節目で起こるようにすべき。

議論以外にも,当日の聴講者のリアクションを見ていると,以下が特に彼らの注意を引いたようだった:

  1. 短時間ながら私が実際に発音指導してみせたところ
  2. 自分とレベル的に大差ない生徒さんがどういうふうに成長したかを具体的に説明したところ(聴き取り用教材が時間経過に伴いいかに高度化していったかを実際に教材を聞かせながら説明)
  3. 先輩が来て眼の前で自分の経験を話したところ

まとめるなら,自分自身が受動的に聴くだけでなく能動的に参加する場合(1.)や,一般論ではなく,自分の立場・状況にかなり近い人たちにとってどうなのかという話の場合(2., 3.)など,ということだろうか。


完全に同じテーマではなかったが,内容的に重複のある講演を過去2回やっていて,そのときの反省点は,自分自身で内容を詰めきってなかったこと。自分自身がしっかりわかりきってなければ当然それについてわかりよい講演などできようがない。なので前回は講演終了後,納得の行くレベルにまで自分の頭とスライドを整理した。それには相当な時間(20時間以上?)がかかったのだが,そっくりそのままの分が準備として不足していたということを意味する。

今回はその反省を生かして相当前から準備を始め,スライド自身の完成度は早い段階から高かったと思う。それだけではなく,長い講演なので全体の中で今どこの話をしているか折りに触れ示せるような準備もした。過去2回に比べるとはるかに準備していたつもりだったが,結局のところ,上に述べたようにさまざまな面で準備不足だった。

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