元プロキックボクサー主催の練習会での学び

8月末に元プロキックボクサーから学んだこと“に書いたキックボクシングのクラスに,先日1年以上開けて初めて参加した。通常テコンドーのクラスと被る曜日に開催されているためなかなか参加できなかったのだがたまたま先週はイレギュラーな曜日開催だったので参加できた。

学んだことは以下。右前のいわゆるサウスポー・スタンス前提で。

  • 左ストレートは肩を返す。
  • ステップ・インして左ストレート,右のアッパー
  • 前(右)のフックを打つ際,前足のかかとを返さない。次の蹴りに続けにくくなるから。代わりに前足の膝を内側に入れ込むことで同様の上半身の回転を生み出す。
  • 1-2から左手を引いて再び上段を突くと思わせながら中段。続いて右でフック。

顔面への連打に対するガード:ジャミラ肩で両腕を前に突き出し,前の手で押すぐらいの感じで相手との距離を取る。前の腕はまっすぐ前へ,左は肘を外側に向け少し折って顔前面をカード。その下から相手の動きを見る。ただし左腕に遮られて,顔面は見ることができず,相手の胸の上部より下を見ることになる。このガードスタンスではアッパーは防げないのでそれだけには注意。自分は腰を落としてその場で踏ん張りがちだが,むしろ前方向に伸び押す感じ。

テコンドーの訓練で身につけたことがどの程度役に立ったかについては,トラヨッチャギ(回転横蹴り)は入る局面はあったように思った。もって回った表現になっているのは,コンタクトの瞬間を自分の目で見て確認できてない上,当然ながら思い切り蹴り込むようなことはしていないためはっきり体感できなかったから。あと,以前よりはフットワークを使うようになっているおかげで,相手の攻撃を下がってかわすのはうまくなった気がした。その後即反撃に転じることはあまりできてないが。

練習に使用された会場は暖房設備が全くないのだが,それを全く考慮してなかったのが大失敗だった。最後には体もあったまって,いつものTシャツと短パンで十分だったが,それまではかなり寒かった。

口頭通訳というのは大変なんですー特に同時通訳

1/10(木)にアイルランドからお越しのテコンドーのグランドマスターのセミナーの通訳をやった。もともとは「通訳いらないんでは?」という話だったが,なしでは全く成立しないことはすぐ明らかになった。さらに,自分が通訳するにしろ自分もセミナーに参加しながら,とか考えていたが,とてもその2つを同時にやることはできないとわかり,それから後は通訳専門に徹するしかなかった。

セミナーは全部で3時間半ほど。さらにその後飲み会のお付き合いもした。つまり合計5時間ほどだろうか。途中から多少慣れたが特に最初は非常に疲れた。どっと疲れてきて,もう2時間ぐらいは経ったか,と時計を見たら,わずか1時間しか経っておらず,大変驚いた。

特に途中から,セミナー進行のペースを上げるため,逐次通訳ではなく極力同時通訳を試みたため,なおのこと疲れた。同時通訳では発話にほとんど遅れることなく通訳を行う。それに対して逐次通訳では,一方がひとしきり喋った後それを全部訳しきり,その後他方がそれに対してひとしきり喋り,それを今度は全部訳し切る…というふうに進める。特に同時通訳の訓練を受けた人でもなければ逐次通訳になってしまうのが普通だろう。

こういったことに興味がない人には想像もつかないのかもしれないが,同時通訳は非常に精神的負担がかかる。例えば世界的イベントのテレビ中継放送が同時通訳される際は,注意して聞いているとわかるが,2, 3分毎に通訳者が交代している。そうでもなければ通訳者の集中力が持たないからだ。

ここから感覚的な話になるが,自分の頭で何が起こるかを説明してみよう。例えば英語を聞きながら日本語に訳す場合,一旦その内容を記憶する。このとき英語のまま記憶しているのではなく,どう表現していいやら悩むのだが,「印象」のような形で短期記憶として一時的に記憶している気がする。もちろん断片的には日本語やら英語やらが混じってる。

例えば英→日の場合,逐次通訳であれば,英→「意味の印象」,「意味の印象」→日,の2フェーズで行われ,これらフェーズは時間的に被ることがない。同時通訳がしんどいのは,この2フェーズを同時並行してやらなければならないからだ。いわば,「英語脳」と「日本語脳」を同時に駆動しなくてはならないのが困難さの理由。

同時通訳が精神的に負担の大きいことは,体感的にひどく疲れるだけでなく,中期記憶が顕著に減退することでも自覚された。感覚的には通訳するだけで頭が「いっぱいいっぱい」になってもう他の余裕がなくなってしまう感じ。セミナーでも,グランドマスターが4つのフットワークを教えてくださったのだが,それを覚えておこうという気持ちはあるのに,これが悲しいことに全く覚えてられなかった。2番めの話に移ったら,もう最初のが思い出せない,くらいの体たらく。

もちろん,自分がやったのは完全な同時通訳ではないし,プロのレベルには遠く及ばないのだろう。しかしそれでも高度なストレスがかかる作業であったことは変わりない。それ専門の訓練を受けたわけでもないのに、稚拙であっても同時通訳のまねごとができたことは自分にとっても驚きだった。

さて…前置きがやたら長くなったが,そのセミナーやその後の飲み会での関係者の私への対し方を見ると,私の大変さがわかってもらえてないことがありありと分かった。以下にいかにわかってなかったかが見て取れた事象を列挙したい:

  • 通訳し終える前に話し出すープロの同時通訳であっても,オリジナルの発話を訳し切るのにいくらかは遅れが起こる。私がやったのはプロレベルの同時通訳ではなかったので,遅れはいかんせんそれよりは長くなる。特に内容が予見できない場合,ある程度内容が見えてから出ないと訳し始められないので,そういった場合には特に訳が遅れる。
    どうもこういったことが理解できないようで,訳し終わらないうちから発言を始める人が多くて閉口した。
  • 他の人が話しているときにそれにかぶって自分が話すーこちらは聖徳太子じゃないのでとてもじゃないが対処できない。今回のように結局日英堪能なのが私だけの状況であると,どうしても私が全ての通訳をしなくてはならなくなる。そのためそうでなくても多大な負担がかかるのだから(喋り続けなければならないため飲み会でもほとんど食べられない),そこら辺は配慮して必要以上に負担が増えないようにして欲しいものだ。
  • 片言英語で伝えようとしてそれが伝わらないと分かるや,それを通訳しろというーそう言われてもこちらが理解できないことは当然訳しようがない。意思疎通を成立させることが重要なのであれば,どうせ正確に伝わりっこない下手な英語を使おうとせず,最初から日本語でわかりやすく表現し,英語に訳すのは通訳者に任せてくれたほうがよほどいい結果につながる。
    実は,伝わらなかった,と分かればまだいい方。この手のいい加減な意思疎通の方法が本当に怖いのは,仮にその場ではお互いわかったつもりにはなったとしも実は重大な誤解が発生している可能性があること。どうでもよい与太話なら誤解があっても大した害にはならないかもしれないが,重要なことについて誤解が起これば,そのときは気づけなくても,後になって気づいたときには取り返しのつかない大きな問題になってしまってるかもしれない。まさに「生兵法は怪我の元」。大事なことはプロに任すのが吉。
    こういう意思疎通方法を取る人はその怖さがまるでわかってない。わかってないどころか,自分はなんとか意思疎通できる,などと全く根拠のない自信を持ってたりする。非常に危険な状態であり傍で見ていてヒヤヒヤする。

ただ,そういう大変さも分かる人には分かるようだ。セミナーの翌日このグランドマスターと日本のテコンドー界の要人の方との会談が設けられ,そこでの通訳もやった。日本のテコンドー界の要人の方は上に述べたような通訳の大変さを,こちらが何も説明しないのに最初の5分ほどで察してくださり,それを配慮しながらお話をしてくださった。これには大変驚いた。

この方はテコンドーに関しては達人であっても,別に語学についてはただの素人。通訳の大変さが理解できるのは,語学をやっているだけでは不十分で,レベルの高い通訳をやった経験のある人でなければならない,と思っていたのに,そうではないことをあっさり証明された。

さらに,「ブロークンな英語であってもとりあえず英語で伝えようとするのと,それは諦めて日本語で発言するのと,どちらがいい?」と聞いてくださった。上で挙げた3点目をちゃんと認識されている,ということだ。ほとほと感心した。