人間そう都合よくあっさり死なない

自分の死について積極的に考える人はあまりいないのかもしれません。いつまでもある程度の健康状態を保って生き続ける,と思いたいものです。ただ問題が一つ。それが幻想に過ぎないということ。誰にも死は必ずやってきます。もしそうであるならば,むしろ逃げずに自分の死を真正面から直視したほうが,より充実した,悔いのない生を送れるのではないでしょうか。

死は避けられないものと受け入れるとしても,そこへの至り方にはいろいろあります。まず大多数の人が「ピンピンころり」を希望するでしょう。私自身も心からそう願っています。逆に,なんとしてでも避けたいのが,体や心が不自由になり,人の助けを一日中受けずには生きていけなくなった状態でずるずると生き続けることではないでしょうか?そんな状態でもいいからともかく長生きしたい,という人はなかなかいないように思います。

ここまでは大半の人が同意してくれると思います。しかしなかなか認識されてないのが,上の不幸な状態に何の前触れもなく唐突になるかもしれないということです。私の父がまさにその一例となりました。徐々になっていくのであれば,合わせて徐々に対応するということが可能になりますが,それができるとは限らない,ということが問題を難しくします。つまり何の予兆もない時点でしっかり対策しておく必要がある,ということです。

彼はその時点で80歳に近づいていましたが,社交ダンスを週何度も嗜み,それに自分の車を運転して行き帰りするほどで,本人もそうでしたが私を含め周りも健康と思っていました。それがある日突然脳梗塞を起こし,結果半身不随状態になり失語症も発症しました。それまで基本問題なく自活できていたのが,病院で常時介護されなければ全く生きていけない状態になりました。その後1年ほどで亡くなりましたが,最後までまともな意思疎通は一切できないままでした。

脳梗塞は発症から早いタイミングで処置できれば後遺症を大幅に抑えることが可能だそうです。父の場合はそれができませんでした。私がもっと早く気づいていれば,とは思いますが,振り返ってみてもそれは難しかったと思います。また,父は急激に重度の要介護状態なったため,介護保険の適用を受けながら専門施設でプロに介護してもらうことができました。中途半端に悪くなり自宅介護になっていれば,私には重い負担になったと思います。そうならなかったことを「よかった」と言うのはためらわれますが,そういう面は間違いなくあります。

父の例が示すように,そういう状態になることを絶対に避けることはできないのでしょう。だからといって避ける努力をすることは決して無駄ではなく,そういう手をできるだけ打っておくことで,可能性は大幅に下げられます。私はできませんでしたが,もし脳梗塞になった父に早く処置を施してあげれていれば,今もまだ元気に暮らしているのかもしれないのです。

自分がそういう不幸な状態になる可能性に対して,「もしそんなのになったら,そのまますぐ死んじゃったらいいわ」という人がいます。考えたくないことなので,そうやって逃げたくなる気持ちはよく理解できます。自分の死と直結する話なので,決して愉快なトピックではありません。が,このプランは実は現実的ではありません。実際には人間そう都合よくあっさり死なないのです。父の場合も,脳梗塞により脳の高次機能は損なわれましたが,生命維持を司る部位は全く損傷を受けてなかったそうです。つまり,意図的に見殺しにでもしない限り,その後も生き続けてしまうということです。それが本人の希望ではないとしても

そうやって生き続ける間,自分・周りに多大な負担をかけ続けることになるかもしれません。精神的負担だけではなく,経済的・肉体的負担にもなるのは避けられないでしょう。さらに,それが何年も,場合によっては10年を超えて続く可能性もあります。仮にそれに自分自身では耐えられる強さがあるとしても,自分が大事に思う家族などに多大な負担をかけ続けることは耐え難い苦しみになるかもしれません

このことは,大規模自然災害の対策と大いに通じるところがあります。大規模自然災害の対策を平時にするのは,煩わしく感じられるかもしれません。平時には目に見える問題が全く起こってないので,必要性が感じられずとかく後回しにしがちかもしれません。しかしいざそれが起こったときには,それまでに準備をしていたかどうかで結果が大きく変わってきます。平時の間にしっかり自然災害の対策をしておくことが鍵になるのと同様,自分が深刻な事態に至らないような対策を平時からしておくことが重要なのです。


以下父の話の詳細です。話のポイントを伝える観点からは詳しすぎると判断して外しました。

彼はその時点で80歳に近づいていましたが,社交ダンスを週何度も嗜み,それに自分の車を運転して行き帰りするほどで,本人もそうでしたが私を含め周りも健康と思っていました。実は慢性の白血病を患ってはいましたが,薬でうまくコントロールされており,担当医に「白血病で死ぬ以前に他の理由で死ぬ」と断言されるほどでしたので,彼が最終的に亡くなったことに直接的関係はなかったと考えてよいと思います。

数年前のある土曜日の朝,いつものように社交ダンスの練習会に向けて彼は車で出ていきました。夕方に帰宅してから話す機会があったとき,「いつもより変?」とは思いましたがそれ以上特に異変は感じませんでした。彼はそれ以前から常識からずれた言動をすることがよくありました。私はそれを彼が生来発達障害であったからだと思っており,「多少変」なのは彼としてはむしろ普通だったのです。

しかし翌日朝話すと,輪をかけておかしくなっていました。話が全く噛み合いません。さすがにこれは彼基準でも普通ではありません。何か深刻な事態になっているかもしれないと私も考えはじめ,救急病院に連れていきました。そこでの診断は脳梗塞。即入院となりました。

しかしそれでも彼はその日はかなり自由に動けたのです。一旦帰途についた私は看護師からの電話で呼び戻されました。彼が点滴チューブを勝手に引き抜こうとするのを止めず,看護師の手に負えないのでそれをさせないための見張りを夜遅くまでさせられました。

その問題はその翌日にはなくなりました。彼が半身不随状態になったからです。さらに失語症。もうこうなるとコミュニケーションは取れません。その1年ほど後誤嚥性肺炎から亡くなりましたが,彼がどう考えているのか,そもそもまともな思考ができていたのかを外からうかがい知ることはついぞできませんでした。

人間そう都合よくあっさり死なない」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: iTag BLEトラッカーを非常ボタンとして流用 | あくまで暫定措置としてのブログ
  2. ピンバック: 突然体の自由が思うようにきかなくなったときに助けを呼べるには | あくまで暫定措置としてのブログ
  3. ピンバック: 亡き父が健康なうちにやってもらったことでよかったこと | あくまで暫定措置としてのブログ

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください